「反抗期がないけれど、大丈夫なのか」という疑問に、先に答えます。
反抗期がないのは、珍しいことではありません。2016年の全国調査では、15〜29歳の未婚の男女のうち、「反抗期と思える時期はなかった」と答えた人は男性42.6%、女性35.6%でした。「思春期は誰でも荒れる」という見方は、1904年にアメリカの心理学者ホールが広めたもので、アーネットの1999年の論文などその後の研究で、誰にでも起きるわけではないが、ほかの年齢より起きやすい、と見直されています。
反抗期がなかったこと自体が、その後の問題につながると示した研究は、今回調べた範囲では見当たりませんでした。ただし、目に見える反抗がないことと、気持ちの上での葛藤がないことは同じではない、という指摘も研究の側にあります。
なお、心の不調かどうかの見分け方や、受診が要るかどうかの判断は扱いません。気がかりなことがあるときは、学校や専門の相談窓口に相談するのが確実です。
反抗期がなかった人は、どれくらいいるのか
使うのは、明治安田生活福祉研究所(当時の名称)の「親子の関係についての意識と実態」(2016年7月公表)です【記事公開日時点で約10年前の調査】(報告書PDF)。
誰を数えたかから確かめます。子どもの側は、全国の15〜29歳の未婚の男女5,803人(高校生・専門学校生・大学生・社会人など)。親の側は、中学生から29歳までの子を持つ35〜59歳の男女9,715人です。調査はマクロミルの登録モニターへのインターネット調査で、2016年3月に行われました。属性ごとに決まった人数を集める割付で回収しているため、人口の構成に比例した標本ではありません(同 p.2)。
何を数えたかは、「反抗期の時期はいつか」という問いへの回答です。選択肢の一つが「反抗期と思える時期はなかった」で、反抗期だったかどうかは本人の判断です。親は、自分が子どもだった頃を思い出して答えています。
| 回答者 | 小学生時代(%) | 中学生時代(%) | 高校生時代(%) | 高校卒業以降(%) | 反抗期と思える時期はなかった(%) |
|---|---|---|---|---|---|
| 子ども・男性 | 5.5 | 37.6 | 11.5 | 2.7 | 42.6 |
| 子ども・女性 | 5.8 | 37.4 | 17.3 | 3.9 | 35.6 |
| 親・男性(子どもの頃の回想) | 5.1 | 46.9 | 17.8 | 2.1 | 28.1 |
| 親・女性(子どもの頃の回想) | 4.0 | 45.3 | 19.3 | 4.9 | 26.4 |
出典:同報告書 図表10(p.9)。回答者数は子ども・男性2,713人、子ども・女性3,090人、親・男性4,314人、親・女性4,285人。
この表で、反抗期の時期として最も多いのは中学生時代です(子どもの男女とも37%台)。一方で、子どもの側の3〜4割は「反抗期と思える時期はなかった」と答えています。中学生で反抗期が来ていない人は、この数字の上では少数派とは言えません。
読むときの注意が二つあります。一つは、子どもの側に高校生(15〜17歳)が含まれていることです。回答した時点で「まだ来ていない」人も「なかった」に入りえます。この割合を「一生に一度も反抗期がなかった人の割合」と読むことはできません。
もう一つは、親子の差です。子ども・男性の42.6%は、親・男性が思い出して答えた28.1%より高くなっています。ただ、親は数十年前を思い出して答え、子どもは直近の自分を判断して答えています。年齢も思い出し方も違うので、この差から「反抗期のない子が増えた」とまでは言えません。
同じ報告書には、ほめて育てる親が増えたという項目もありますが、反抗期の割合との関係は分析されていません。ほめることについての研究は自己肯定感とほめ方の記事で扱っています。
中学生本人に「反抗期があるか」を全国規模で聞いた公的な統計は、今回調べた範囲では見つかりませんでした。
「思春期は荒れるもの」という見方は、どこから来たのか
「思春期は誰でも荒れる」という考え方は、英語で storm and stress(疾風怒濤)と呼ばれます。この見方を広めたのが、アメリカの心理学者G・スタンレー・ホールの著書『青年期(Adolescence)』(1904年、全2巻)です(Wellcome Collection 所蔵目録)。心理学者アーネットの1999年の論文は、ホールのこの見方を出発点に、親との衝突、気分の乱れ、危険な行動の三つの面から、その後の研究を整理しています(Arnett 1999 抄録)。
ホールの見方に、早い時期に別の角度から問いを立てたのが、アメリカの人類学者マーガレット・ミードです。1928年の『サモアの思春期(Coming of Age in Samoa)』の冒頭で、ミードはこう問いました。「私たちの青年を悩ませる混乱は、青年期そのものの性質によるのか、それとも文明によるのか」(原文 “Are the disturbances which vex our adolescents due to the nature of adolescence itself or to the civilisation?”。AI翻訳)(Project Gutenberg 版)。
ミードは、サモアの、互いに隣り合う3つの小さな村の少女たち(本人の記述では “fifty girls in three small neighbouring villages”)を、9か月かけて調べました。そして、のちの章で扱う少数の例外を除けば、サモアの少女にとって「青年期は危機やストレスの時期ではなかった」と書いています(同書。AI翻訳)。荒れるかどうかは年齢だけで決まらず、育つ社会のあり方でも変わる、という問いを投げかけたわけです。
この結論には強い反論が出ました。人類学者デレク・フリーマンは1983年の著書『マーガレット・ミードとサモア』で、ミードの調査は誤っていたと批判しました。1999年の著書 The Fateful Hoaxing of Margaret Mead では、ミードはサモアの人々にだまされたのだとも主張しています(九州大学附属図書館の書誌)。これに対して人類学者ポール・シャンクマンは2009年の著書で、フリーマンの遺した資料を調べ、フリーマンが自分の主張に合う証拠を選んでいたと論じています(コロラド大学の紹介記事 2009年)。シャンクマン自身も、ミードの仕事が完全ではなく、批判の余地があったことは認めています(同記事)。どちらが正しかったのか、論争はいまも決着していません。
日本語の「第二反抗期」も、日常の言葉としては定着しています。けれども、日本の発達心理学の論文をふり返った須崎(2015)は、青年期の親子のぶつかり合いは「第二反抗期」と説明されることが多いものの、心理学では近年この言葉はあまり使われなくなった、と整理しています(須崎 2015)【記事公開日時点で11年前の論文】。同論文によれば、2013年刊の『発達心理学辞典』には「第一反抗期」の項目はあっても、「第二反抗期」の項目はありません(同 p.58)。
「子ども」や「青年」という区切り自体が、時代によって作られてきたことは子ども期の歴史の記事で扱いました。
その後の研究は、反抗期をどう見直したのか
いま主流の見方を一言でまとめると、「荒れるのは全員ではないが、ほかの年齢よりは起きやすい。起き方は人と文化で違う」です。主な研究を、何を数えたかで並べます。
| 研究 | 対象 | 何を数えたか | 分かったこと |
|---|---|---|---|
| Arnett 1999 | 既存研究の整理 | 親との衝突・気分の乱れ・危険な行動 | 全員ではないが、ほかの年齢より起きやすい。伝統的な社会では西洋より少ない傾向 |
| Laursen ら 1998 | 親子の衝突を調べた研究のメタ分析 | 衝突の回数と、衝突したときの感情の強さ | 回数は年齢とともに減る。感情の強さは思春期前期から中期に増す |
| Buchanan ら 2023 | 8か国・11の文化集団の1,211人を8〜17歳まで追跡 | 内にこもる不調・外に出る問題行動・心の健康 | どの集団でも、行動は否定的なものより肯定的なものが多かった。割合と変化の形は文化で違った |
Arnett(1999)は、ホールの見方をそのまま否定するのではなく、「修正した形でなら支持される」と結論づけました(AI翻訳)。荒れることは思春期にほかの年齢より多いものの、全員に起きるわけではなく、伝統的な文化では西洋より少ない傾向がある、という形です(抄録)【記事公開日時点で27年前の論文】。
Laursen ら(1998)は、親子の衝突を調べた研究をまとめて分析しました。衝突の回数は思春期前期から中期、さらに後期にかけて減っていき、「思春期に衝突が増えて、その後減る」という通説を支える材料は乏しい、という結果でした。一方、衝突したときの感情の強さは、前期から中期にかけて強まっていました(抄録)【記事公開日時点で28年前の論文】。著者らは、感情の強さについては使える研究が少ないことを断っています。
Buchanan ら(2023)は、8か国の11の文化集団の子ども1,211人を、8歳から17歳まで7回にわたって調べました。荒れる見方の予測は、「変化の形」については一定の支持があった一方、「多くの子がそうなる」という点では支持が弱く、どの集団でも行動は否定的なものより肯定的なものが多かったと報告しています(Buchanan ら 2023)【記事公開日時点で3年前の論文】。同じ研究者らが編んだ特集の序文は、荒れる見方より実際のデータに合う青年期の見方を示そうとしています(特集の序文 2023)。
日本では、松井(1996)が、データから見る限り第二反抗期と呼べる現象はわずかしか見られない、と述べたと紹介されています(須崎 2015 による紹介。原典は未確認)。
発達の見方そのものが一つではないことは、ピアジェとヴィゴツキーの記事でも扱いました。
反抗期がないと、大人になってから困るのか
「反抗期がない子は、あとで困る」「大人になってから爆発する」という話を見かけます。けれども、反抗期があった人となかった人を分け、その後の人生を追いかけて比べた研究は、今回調べた範囲では見つかりませんでした。「あとで爆発する」という説を支える集団のデータも、見当たりませんでした。
手がかりになる研究は、回想によるものです。白井(1997)は大学生に過去をふり返ってもらい、親に反抗しなかった学生も適応的に生活している、と報告したと紹介されています(須崎 2015 による紹介)。ただし、これは一時点で過去を思い出してもらった調査で、反抗の有無とその後の生活の関係を、時間を追って確かめたものではありません。反抗しないことが良い結果を生む、とも、悪い結果を生む、とも言えない材料です。
つまり、「将来困る」という心配に対して、今ある研究は「困る」とも「困らない」とも強くは言えません。言えるのは、「困る」と言い切れる根拠も見当たらない、というところまでです。
反抗しないのは、気持ちを押し込めているからではないのか
ここには、いちばん強い反対の考え方があります。「反抗は自立に必要な段階で、それが無いのは抑え込まれているしるしだ」という考え方です。
この考え方には、研究の裏づけがあります。日本の発達心理学には、反抗期を自立に必要な過程と見る流れがあり、乾(1977)は反抗期を、生物学的に必ず起こるものではないが正常な発達の一つの節目と位置づけ、小沢(1991)は自立のためには反抗が必要だと論じたと紹介されています(いずれも須崎 2015 による紹介)。ただし小沢は、反抗が強すぎると親との関係を切る方向に進む可能性も述べています(同)。
また、「反抗期が無かった」と思っている人の中には、行動としての反抗はなくても、気持ちとして反抗が内にある場合もある、という指摘もあります(江上・田中 2013。小高 2023 による紹介)。研究者の中には、目に見える反抗の行動と、心の中の反抗の感情を分けて調べた人もいます(須崎 2008。小高 2023 による紹介)(小高 2023 発表資料)【記事公開日時点で約3年前の発表】。「目に見えないだけで、内にはある」という見方自体は、研究の中にあるのです。
一方で、弱いところもあります。反抗期の有無で人を分けて、その後を集団で追った研究は見当たりません。内にある反抗を指摘した研究も、反抗がない人が困っているかどうかを示したものではありません。
「親が押さえつけてきたから、反抗できないのではないか」という心配もあります。これについては、杉山・長谷川(2013)が、両親の過保護な養育態度は反抗を強める方向に、子を守り世話する温かい養育態度は弱める方向に結びついていた、と報告したと紹介されています(小高 2023 による紹介。原典は未確認)。ただし、これは態度と反抗が同時に見られたという関係で、原因と結果を示したものではありません。「押さえつけたから反抗しない」とも、「温かく育てたから反抗しない」とも、この結果からは言えません。言えるのは、反抗の多さが過保護の側と結びついていたという結果もある、というところまでです。
ぶつからずに親から離れていく形はあるのか
あります、というのが研究の流れです。白井(1997)は、親から離れていく形として二つのモデルを示しました。反抗は自立に伴って必ず現れ、誰にでも見られるとする「分離モデル」と、反抗は必然でも不可欠でもないとする「組み替えモデル」です。白井は、どちらにも一長一短があり、片方だけでは説明しきれないとしたと紹介されています(須崎 2015 p.59 による紹介)。ぶつからずに離れていく形は、少なくとも研究の中で一つのモデルとして示されている、ということです。
ほかにも、須崎(2015)が紹介する研究に、同じ方向のものがあります。オファー(1969)は、青年期を通り抜ける道筋はいくつもあり、混乱はその一つにすぎないとしました。サリヴァンとサリヴァン(1980)は、自立は単に親から離れることではなく、愛情やお互いのやりとりを経て深まると論じました。小高(1998)は、親から信頼され頼りにされていると感じるとき、青年は精神的に独立している、と報告しています(いずれも須崎 2015 による紹介)。
ここから見立てを一つ述べます。反抗期がないこと自体を心配の根拠にできるほどの、集団を追ったデータは、今回調べた範囲では見当たりません。気にかける先を「親とぶつかったかどうか」から、「子どもが自分のことを自分で決める場面が増えているか、困ったときに親に話せるか」へ移すほうが、研究の見直しの流れに沿っています。根拠は、荒れるのは全員ではないとした Arnett(1999)、衝突の回数は年齢とともに減るとした Laursen ら(1998)、どの文化でも肯定的な行動のほうが多かった Buchanan ら(2023)、そして離れ方は一つではないとする白井の組み替えモデルやオファー・サリヴァンらの議論です。ここで言う「自分で決める場面」は、発達研究が自立をどう捉えてきたかの言い換えで、心の状態を見分ける目安ではありません。
子どもが自分のことを決める場面を、法や国際文書がどう扱っているかは、子どもの意見表明の記事で整理しました。
いちばん強い反対の考え方は、前の節の「反抗は自立に必要で、無いのは抑え込まれているしるし」です。強みは、反抗期を自立の節目と見る日本の研究の流れがあること、行動に出ない反抗が内にありうると指摘する研究があることです。弱みは、反抗の有無で分けてその後を追った研究が見当たらず、「無いと困る」ことを集団のデータで示せていないことです。
別の結論になる条件もはっきりしています。反抗期の有無で分けた追跡研究で、反抗しなかった人に後の困りごとが多いと示されれば、この見立ては変わります。また、反抗がないことに加えて、自分で決める場面が増えていない、困ったときに話せる相手がいない、といったことが重なっている場合は、この記事の見立てだけでは足りません。そこから先は、学校や専門の相談窓口の領域です。
ミードの問いに戻ると、荒れるかどうかは年齢だけで決まらず、文化や親子の関係で形が変わる、というのが一世紀かけて研究が近づいてきた見方です。そう考えると、「反抗期がないのは異常か」という問いは、「親から離れていく形はぶつかり合いだけなのか。この子は別の形で離れていっているのではないか」と立て直すことができます。
反抗期について、研究がまだ答えていないこと
反抗期の有無で青年を分け、その後を追跡した研究は、今回調べた範囲では見当たりません。白井(1997)の結果も回想による一時点の調査で、原因と結果は言えません。
「反抗期」が何を指すかは、研究ごとに違います。目に見える反抗の行動、心の中の反抗の感情、親子の衝突の回数、衝突したときの感情の強さ。Laursen ら(1998)では、回数は減る一方で感情の強さは前期から中期に増していました。「反抗期があるか」の答えは、何を数えるかで変わります。
日本の割合の数字は、本人の判断や回想によるものです。親世代より子ども世代で「なかった」が多いのが、実際に反抗が減ったからなのか、「反抗期」という言葉の受け取り方が変わったからなのかは、分かっていません。
ミードとフリーマンの論争も、どちらが正しかったのか決着していません。思春期の荒れがどこまで生まれつきで、どこまで社会によるのかという、ミードが立てた問いそのものは、いまも研究が続いています。
参考文献
- 明治安田生活福祉研究所「親子の関係についての意識と実態」2016年7月 https://www.myri.co.jp/research/report/2016_02.php (PDF https://www.myri.co.jp/research/report/pdf/myilw_report_2016_02.pdf )
- Arnett, J. J. (1999). Adolescent storm and stress, reconsidered. American Psychologist, 54(5), 317–326. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/10354802/
- Laursen, B., Coy, K. C., & Collins, W. A. (1998). Reconsidering changes in parent-child conflict across adolescence: A meta-analysis. Child Development, 69(3), 817–832. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/9680687/
- Buchanan, C. M., et al. (2023). Typicality and trajectories of problematic and positive behaviors over adolescence in eight countries. Frontiers in Psychology, 13, 991727. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9930608/
- Buchanan, C. M., Romer, D., Wray-Lake, L., & Butler-Barnes, S. T. (2023). Editorial: Adolescent storm and stress: a 21st century evaluation. Frontiers in Psychology, 14, 1257641. https://www.frontiersin.org/journals/psychology/articles/10.3389/fpsyg.2023.1257641/full
- 須崎(2015)「青年期における親子間葛藤に関する研究の再検討:世代性の視点と社会・文化的視点の必要性」『神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究紀要』8(2), 57–66. https://da.lib.kobe-u.ac.jp/da/kernel/81008825/81008825.pdf
- 小高恵(2023)「過去の母子間の葛藤経験と現在の母―青年関係の関連について」応用心理測定研究会 第7回 発表資料 https://lab.kuas.ac.jp/~mihonori/wp/wp-content/uploads/2024/02/2023vol7_04kodaka.pdf
- Mead, M. (1928). Coming of Age in Samoa. Project Gutenberg https://www.gutenberg.org/ebooks/74750
- Hall, G. S. (1904). Adolescence (2 vols.). Wellcome Collection https://wellcomecollection.org/works/bnz2wgy9
- Freeman, D. (1983). Margaret Mead and Samoa: The Making and Unmaking of an Anthropological Myth. Harvard University Press./Shankman, P. (2009). The Trashing of Margaret Mead: Anatomy of an Anthropological Controversy. University of Wisconsin Press./Freeman, D. (1999). The Fateful Hoaxing of Margaret Mead: A Historical Analysis of Her Samoan Research. Westview Press.(書誌 https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/recordID/1000138707 )(Shankman の紹介記事 https://www.colorado.edu/today/2009/12/10/trashing-margaret-meads-reputation-based-deeply-flawed-evidence-cu-prof-finds )
- 白井(1997)/松井(1996)/乾(1977)/小沢(1991)/小高(1998)/Offer (1969)/Sullivan & Sullivan (1980) は須崎(2015)による紹介、江上・田中(2013)/杉山・長谷川(2013)/須崎(2008)は小高(2023)による紹介で、いずれも原典は未確認です。
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