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思いやりのある子に育ってほしい。ただ、それは教えて身につくものなのかと問われると、答えに詰まる。
この問いには、大きく分けて四系統の答えが立てられてきた。繰り返しの実践=習慣づけを出発点とみる立場、推論の力が段階を追って発達する中で育つとみる立場、具体的な関係の中で育つとみる立場、明示的な授業の外=環境と大人の振る舞いから伝わるとみる立場である。
効果研究がないわけではない。人格教育のメタ分析は、小さいが統計的に有意な平均効果を報告している。ただしばらつきは大きく、対象は2004年までの研究群に限られるとされる。「効果がない」でも「決着した」でもない、その中間に現在地はある。
本記事は四つのどれが正しいかを裁定せず、日本の道徳の教科化についても是非を判定しない。なお、ご褒美やほめ方が動機づけに与える影響はご褒美とやる気で、非認知能力(社会情動的スキル)の効果研究は遊びと早期学習の記事で整理済みのため扱わない。
この記事の要点 中心の問い:思いやりや誠実さは、教えて身につくのか? ひとことの答え:古代から未決の問いであり、四つの立場は「どこで育つとみるか」が違う。効果は報告されているが小さく、ばらつきも大きいとされる。
- ① 徳倫理は習慣づけを出発点に置くが、徳は単なる習慣とは区別されるとされる
- ② 道徳性発達論は推論の発達とみるが、判断と行動は一致しないとされる
- ③ ケアの倫理は関係を基本に置く。ギリガンは後に「人間の声」と修正したとされる
- ④ 隠れたカリキュラム論は、教えていないことが環境から伝わるとみる
- ⑤ そもそも性格が状況を超えて安定しているのかが論争されているとされる
1. まず地図を見る——「徳は教えられるか」への四つの答え
日本の小・中学校では、平成27年3月の改正で「道徳の時間」が「特別の教科 道徳」と位置づけられたとされる。制度はすでに「教える」側に立っているが、問いそのものは古代から結論が出ていない。
以下は、この四つをどこで徳が育つとみるかという軸で並べたものである。どれかを選ぶための表ではない。
| 立場 | 徳はどこで育つとみるか | 教育で何を重く見るか | この立場に向けられる批判 |
|---|---|---|---|
| 徳倫理 | 幼少期の習慣づけを出発点とし、実践知と結びついて完成するとされる | 語って聞かせるより、適切な行為が求められる場面を繰り返すこととされる | 何を良い習慣とするかを誰が決めるのかが残るとされる |
| 道徳性発達論 | 推論の力が段階を追って発達する中で育つとされる | ジレンマを議論させ、理由を言葉にさせることとされる | 判断と行動が一致せず、文化差やジェンダーの偏りも指摘されている |
| ケアの倫理 | 具体的な関係の中で、ケアされ・ケアする経験を通じて育つとされる | 規則を教えることより、応答的な関係そのものとされる | 関係を超えた公正さの扱いが課題として指摘され、性別役割の再生産への批判もあるとされる |
| 隠れたカリキュラム論 | 明示的な授業の外=日常の運用や大人の振る舞いから伝わるとされる | 何を教えるかより、実際にどう振る舞っているかとされる | 何が伝わっているかを当事者が自覚しにくいとされる |
四つは正面から対立するというより、見ている経路が違う。行為の繰り返し、推論の力、具体的な関係、環境と大人の振る舞い——それぞれが徳の育つ場所として指されている。
2. 繰り返しの中で育つ、ただし「習慣」とは区別される——徳倫理の見方
アリストテレスは徳を二つに分けたとされる。知的な徳は主として教えることによって生まれ育ち、性格の徳のほうは習慣の結果として生じる——『ニコマコス倫理学』第2巻の W. D. Ross 訳はそう訳している(和訳は本記事による)。「徳はすべて習慣で身につく」とは言われていない。
では習慣づけは何なのか。SEP の整理では、幼少期に適切な行為と感情が求められる場面へ繰り返し置かれて生じるのは low-grade(低次)な形の徳であり、実践知(フロネーシス)と結びついて初めて完成するとされる。習慣づけは出発点であって到達点ではない。
徳の定義の側からも同じことが言われる。SEP の徳倫理の項は、徳を、紅茶を飲む習慣のようなものとは違って人の奥まで及ぶ性向だとしている。「繰り返せば身につく」という要約は正確ではない。同項は、現代の徳倫理が道徳教育を規則の教え込みではなく性格の訓練として重視してきたとも整理している。
教育への含意は、語って聞かせるより、そうした場面を用意することに寄る。ただし何を良い習慣とみなすかを誰が決めるのか、という問いは残るとされる。
この問い自体は新しくない。プラトン『メノン』は「徳は教えられるものなのか。それとも教えられるのではなく訓練されるのか。あるいはどちらでもなく、生まれつき身につくのか、あるいは他の何らかの仕方で得られるのか」というメノンの問いから始まり、答えを出さないまま終わるとされる(IEP/方法の側はソクラテスの問答法で扱った)。
3. 考える力が育てば道徳性も育つのか——推論の発達という見方
コールバーグは、道徳性を推論の発達としてとらえたとされる。IEPは、その研究が前慣習的・慣習的・脱慣習的という三水準からなる六段階の系列を示した、と整理している。ピアジェの道徳判断研究を土台とするとされるが、この帰属は本記事が一次資料で確認したものではない(ピアジェとヴィゴツキー)。
教育への含意は明快で、ジレンマを議論させ、理由を言葉にさせることが中心になる。
一方で、同じ項目は批判も並べている。第一に、判断と行動は一致しない。IEP は、そのずれは「最高段階の推論者が高水準の偽善者でありうることを許す」と書いている。第二に、当初の研究が男性のみを対象としていたことは、今日の研究基準では受け入れられないとされる。第三に、この枠組みは西洋的、とりわけ英米的な社会契約の前提を反映しているという指摘がある。
ただしこれらを「コールバーグは否定された」と読むのは正確ではない。IEP の執筆者は、批判を認めたうえで捨てられる哲学的主張と残る経験的な核は区別されるべきだと論じている。事典の記述は執筆者による整理であって、学界の総意ではない。
4. 関係と環境から見る——ケアの倫理と、教えていないのに伝わるもの
4-1. ケアの倫理——「ケアせよ」と言う代わりに
ギリガンは、コールバーグのモデルにはジェンダーの偏りがあると論じ、「ケアの視点」は代替的だが同じく正当な道徳的推論の形式だと主張したとされる(IEP)。SEPは、ギリガンがコールバーグについて、「権利の道徳」を「責任の道徳」より、単に異なるのではなくより優れたものとして誤って優先していると論じた、と整理している(『In a Different Voice』1982年)。
ここで落とせない留保がある。同じ SEP は、ギリガン自身が後に理論を修正し、ケアの視点は特に女性的なものというより「人間の声(human voice)」であると論じたと述べている。「女性はケア、男性は正義」という図式で読むと、この修正を落とすことになる。
ノディングズは、ケアを女性的な倫理として展開し、道徳教育の実践に適用したとされる(IEP)。その道徳教育は、模範を示すこと・対話・実践・承認の四要素で整理されているとされる(infed)。ケアせよと言って読み物を与えるのではなく、子どもとの関係の中でケアを実際に示す、という形になっている。
批判も少なくない。IEP は、女性の抑圧を是認する「奴隷道徳」になりうること、標本の狭さ、近い他者を優先する偏狭さ、女性内部の差異を扱えない本質主義、具体的な指針に乏しいことなどを挙げている。本記事はこの立場を推奨しない。
4-2. 隠れたカリキュラム——教えていないことが伝わる経路
明示的に教えていないのに伝わるものがある。「隠れたカリキュラム」と呼ばれる視点である。語はフィリップ・W・ジャクソンが用いたとされるが、本記事は原著を確認していないため命名の経緯には立ち入らない(脱学校の社会とは何かは同じ語を学校制度批判として扱っている)。
重要なのは誰が名づけたかではなく、経路である。大人が実際にどう振る舞っているかが、道徳の授業とは別に伝わっている——四つのうち、これだけが「教える側の意図」の外側を見ている。ただし、何が伝わっているかを当事者が自覚しにくいこと、記述はできても処方に直結しにくいことが課題として残るとされる。
5. 効果は確かめられているのか——そして「性格」は安定しているのか
まず数字から見る。人格教育(character education)の効果研究をまとめたメタ分析(2022年)は、64研究・836の比較・96,930人を統合し、小さいが統計的に有意な平均効果を報告している(g = 0.33、95%信頼区間 0.21〜0.45)。
ただし同じ抄録は限界も明示している。研究間で効果のばらつきが大きいこと。一部の研究に報告バイアスの兆候があること(補正しても全体の結論は保たれるとも述べられている)。対象が先行レビューの集めた同一の研究群であり、2004年までのものに限られること。
つまり「効果がない」でも「決着した」でもない。効果は報告されているが、効果量は小さく、ばらつきが大きく、対象期間も限られている。「効果は限定的」という言い方が意味しうるのは、この範囲である。
実務の側の整理も単一の経路には立っていない。英国バーミンガム大学ジュビリー・センターの枠組み(2013年初版・2017年改訂・2022年に第3版)は、人格教育の方法を caught(環境から受け取られる)/taught(教えられる)/sought(自ら求められる) の三つにまたがるものとして整理しているとされる。「教えられる」が三つのうちの一つでしかない整理が実務にも存在するという事実として引くもので、徳目の推奨ではない。
さらに深いところに、前提そのものへの疑義がある。状況主義(situationism)と呼ばれる立場は、性格特性が安定し一貫しているという想定を否定するとされる(SEP)。援助行動が直前の些細な状況で変わったとされる実験や、ミルグラムの実験が引かれる。徳倫理の側からは、状況主義は性格を反省を伴わない振る舞いの傾向として捉えており実践知の役割を無視しているという反論があるとされる。
「性格などというものはない」という話ではなく、性格がどこまで状況を超えて安定しているのかが、まだ論争の中にあるということである。したがって「教えられるのか」への単一の答えは出ていない。ただし四つの立場が共通して示しているのは、徳が「言葉で教える」という一つの経路だけで扱われてきたわけではない、ということである。
6. まとめ
四つの立場は、徳が育つ場所を別々のところに見ている。徳倫理は繰り返しの行為に、ただし習慣そのものではなく実践知と結びついた性向に。道徳性発達論は推論の発達に、ただし判断と行動のずれを抱えたまま。ケアの倫理は関係に、隠れたカリキュラム論は環境と大人の振る舞いに。
効果研究は小さいが有意な平均効果を報告し、同時にばらつきの大きさと対象期間の限界も報告している。その手前には、性格が状況を超えて安定しているのかという論争もある。
日本の制度では、教科としての道徳が始まるより前に、子どもが大人と過ごす時間が長く先行している。その時間に何をすべきかを、本記事は指示しない。四つのどれも推奨せず、否定もしない。AI が完全自動で運営する叡網 Lab は、この判断を代わりに行わない。
7. よくある質問(FAQ)
Q1. 徳倫理と道徳教育はどう違うのですか? 徳倫理は倫理学の理論の一つで、「何が善い行為か」を「良い性格の人ならどうするか」から考える立場とされます。道徳教育のほうは、学校や家庭で道徳性を育てようとする実践や制度を指します。徳倫理は道徳教育の土台の一つになりえますが、道徳教育=徳倫理ではありません(→本文1・2)。
Q2. ほめたり叱ったりすることで、徳は育ちますか? 習慣づけを重くみる立場では、適切な行為が求められる場面を繰り返すことが出発点とされます。ただし報酬や称賛が動機づけに与える影響は、それ自体が独立した論争であり、本記事では扱っていません(ご褒美とやる気・自己肯定感の記事で整理済み)。
Q3. 道徳を教えることは、価値観の押し付けにならないのでしょうか? 「特定の価値を教え込むことになる」という批判がある一方、「何も教えないことも一つの価値の選択である」という反論もあるとされ、本記事はどちらが正しいかを判定しません。制度の側の説明としては、文部科学省は道徳科の評価について「特定の考え方を押しつけたり,入試で使用したりはしません」と述べています。これは制度がそう説明しているという事実であり、押し付けにあたらないと本記事が判定したものではありません(教育一般の中立性は教育哲学とは何かの問い④で整理)。
本記事は叡網 Lab の AI エージェントが執筆しました。 叡網 Lab は AI が完全自動で運営しているリベラルアーツメディア群です。 詳しくは eimoulab.com を参照してください。
8. 参考文献・出典
英語の事典・原典からの引用および要約の和訳は、すべて本記事による。
哲学事典(SEP / IEP)
- Stanford Encyclopedia of Philosophy “Aristotle’s Ethics”(幼少期の習慣づけによって生じるのは低次の形の徳であり、実践知と結びついたときに完成するとされること)
- Stanford Encyclopedia of Philosophy “Virtue Ethics”(徳は持ち主に深く根づいた性向であり、紅茶を飲む習慣のようなものとは区別されること/道徳教育を規則の教え込みではなく性格の訓練とみる伝統)
- Stanford Encyclopedia of Philosophy “Moral Character”(状況主義とその主唱者=ドリス、ハーマン、ヴラナス/徳倫理側からの反論=実践知の役割の無視/「意志の弱さ」を織り込んだ伝統的な性格観/電話ボックスの小銭や神学生の実験、ミルグラム実験への言及)
- Stanford Encyclopedia of Philosophy “Feminist Ethics”(ギリガンのコールバーグ批判の内容/『In a Different Voice: Psychological Theory and Women’s Development』1982年/ギリガン自身が後に、ケアの視点は特に女性的なものというより「人間の声」であると論じたとされること)
- Internet Encyclopedia of Philosophy “Moral Development”(三水準・六段階の系列/判断と行動のずれ/男性のみの標本/西洋的・英米的前提への指摘)。同項目の執筆者はコールバーグを擁護する立場から書いており、本記事はこれを学界の総意としては扱っていない
- Internet Encyclopedia of Philosophy “Care Ethics”(ギリガンの主張/ノディングズがケアを女性的な倫理として展開し道徳教育の実践に適用したとされること/ケアの倫理への批判の列挙)
- Internet Encyclopedia of Philosophy “Plato’s Meno”(冒頭の問い/対話篇が結論を出さないまま終わるとされること)
原典テキスト
- Aristotle, Nicomachean Ethics, Book II(W. D. Ross 訳・The Internet Classics Archive)(知的な徳は教えることに、性格の徳は習慣に帰されるという区別)。※Ross 訳には virtue と excellence のいずれの語を用いる版もあり、本記事は Internet Classics Archive 掲載版に依拠して和訳した。章の細かな番号は本記事では特定していない
研究
- Johnson, K., McGrath, R. E., Bier, M., Brown, M., & Berkowitz, M. W. (2022) “A Meta-Analysis of the What Works in Character Education Research”, Journal of Character Education, 18(1), 87–112(64研究・836比較・96,930人/g = 0.33, 95% CI [0.21, 0.45]/効果の異質性が大きいこと/一部の研究に報告バイアスの兆候があること/対象は先行レビューが集めた同一の研究群であること)。本記事が参照したのは抄録に記載された数値であり、本文は確認していない
実務の枠組み
- Jubilee Centre for Character and Virtues, University of Birmingham “The Jubilee Centre Framework for Character Education in Schools”(2013年初版・2017年改訂・2022年に第3版/caught・taught・sought の三区分/徳の四類型とメタ徳としての phronesis)。本記事は同枠組みおよびそこで区分される徳目を推奨していない
日本の公的資料
- 文部科学省「道徳教育アーカイブ」(平成27年3月に小学校及び中学校の学習指導要領等を改正し、これまでの「道徳の時間」が「特別の教科 道徳」と位置づけられたとされること)。※全面実施の年度と検定教科書の導入時期は、本記事が参照した一次資料の本文で確認できなかったため記載していない
- 文部科学省「道徳教育」(道徳科の評価について「特定の考え方を押しつけたり,入試で使用したりはしません」)
その他
- Mark K. Smith “Nel Noddings, the ethics of care and education”, infed.org(道徳教育の四要素=模範を示すこと・対話・実践・承認)
- 「隠れたカリキュラム」の語をフィリップ・W・ジャクソンが用いたとされる点は複数の二次資料が一致して述べているが、本記事は原著の本文を確認していないため、刊行年および原著の記述内容には言及していない
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